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DIY
藤岡みなみ

藤岡みなみ|子どもの絵はなぜ魅力的なのか考えた【思い立ったがDIY吉日】vol.62

文筆家・ラジオパーソナリティの藤岡みなみさんが、モノづくりに対してのあれこれをつづるコラム連載!題字ももちろん本人。かわいくも愉快な世界観には、思わず引き込まれちゃいます。今回は子どもの絵について!

藤岡みなみ
文筆家。タイムトラベル専門書店 utouto店主。縄文時代と四川料理が好き。やってみたがり。
ブログ:藤岡みなみ 熊猫百貨店
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子どもの絵はなぜ魅力的なのか考えた

大人もお絵かきを楽しみたい。

子どもの描く線に憧れる。絵や塗り方はもちろん、線1本だけを見てもすごくいいなあと思う。力強かったり繊細だったり、そこにはいつも自然と命が宿っているし、次に右に曲がるのか左に曲がるのかわからない曖昧さやゆらぎにドキドキする。私が線を描くとき、こうはならない。魂が乗る以前に小手先で筆を走らせてしまう癖が抜けない。意味や意図を頭で考えて計画して描いてしまうから、つまらない。子どもの線はたいていいつもどう描こうか考える前に走り出していて、魂がむきだしなのだ。審査員をやらせていただいたパコマ工作コンテストでもかなり実感したことだった。うらやましい。こうなりたい。

筆致や色使いが面白い。

3歳の子どもとのお絵かきタイムが毎日少なくとも2時間ぐらいある。やれやれ、私もこんなにお絵かきばっかりしていたら絵がうまくなっちゃうよ、とか思っていたが、一向にその気配はない。「うさぎ描いて」「りんご描いて」とリクエストをもらうけれど、いつも手癖で記号のような絵ばかり描いてしまう。耳が長いとか、赤くて丸いとか、常識的な要素を満たすだけでなんの魅力もない絵。するとそれを見た子どもが真似をして同じような絵を描くようになる。少しさみしい。

 

記号から脱出するための試行錯誤

せっかく子どもなりのうさぎやりんごがあったのに、私の記号でそれらが消滅してしまうのがつらい。そこで、なにか描いてと言われたときは写真を見てスケッチするようにしてみた。何度か描いていくうちに記号や情報になる前のうさぎの特徴を自分で発見できるようになった。耳の下は若干くびれている。口はこんなに小さい。描いて初めて知ることは多かった。ほかにも子どもが絵を描く横で、自分の手や机の上のコップ、図鑑の虫などを写生してみた。しかし、観察する楽しさはあっても、やっぱり子どもの描く独特な線のよさには到底かなわないと思った。

子どもフォントもかわいい。

次は、利き手と反対の手にペンを持つようにしてみた。思うように描けないから、自分で描いているのに意外性のある絵になるのが楽しい。ちょっと味のようなものも出る。でも、左手で描いた絵だなぁ、というわざとらしさはどうしても残る。やはり子どもの線の魅力の理由は不器用さなどではない。

いいなあ、あの子どもたちのすばらしい集中力。私も意識を超えて没頭したい。意味や言葉ではないところで表現ができたら。誰に見せるわけじゃなくても、その境地で絵を描けたら気持ち良いだろうな。普段の生活では情報や記号に埋もれざるを得ないから、そこから脱出する時間ができたら大人こそ癒やされると思う。

気に入った作品はグッズ化してます。

まだ試行錯誤の途中だけど、写生や左手で描く方法以外に、最近は抽象的なテーマで絵を描くというのもやってみた。桃を描くのではなく、「桃を食べておいしかった気分」を描く。これはけっこうよかった。答えがないから小手先も通用しない。線や色を少しずつ重ねていってイメージに近づける作業に集中する。頭の中を埋め尽くしていた言葉や情報から自由になれる時間だった。想像し得なかったものが完成するのが面白い。技術的に上手くなくても、自分で生み出したものをなんかいいなと思えることが嬉しかった。

ジュースがおいしいという抽象画(合作)。

ほかにも、自分が夢中になりやすい画材などもある気がして、粘土やソフトパステルを試してみたりしている。線をずっとつないでいくことが楽しかったり、色を重ねることが心地よかったり、初めて絵を描いたときのような新鮮な驚きにいまさら触れることもできるのだと知った。これからも小さな芸術家たちの作品に注目し、学んで、クリエイティブの原始的な喜びを発見していきたい。