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藤岡みなみ

藤岡みなみ|DIYな先祖をたどる旅に出ました【思い立ったがDIY吉日】vol.87

文筆家・ラジオパーソナリティの藤岡みなみさんが、モノづくりに対してのあれこれをつづるコラム連載!題字ももちろん本人。かわいくも愉快な世界観には、思わず引き込まれちゃいます。今回は、DIYな旅の記録について!

藤岡みなみ
文筆家。暮らしの中の異文化をテーマにした『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)が発売中。
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Pacoma2月号(2024年1月10日発行)号に掲載された、本コラムは2023年11月に執筆されたものです。

令和6年能登半島地震により、犠牲になられた方々に謹んでお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆さま、ご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
また被災地におきまして、救済と復旧・復興支援等の活動にご尽力されている方々に深く敬意を表します。
皆さまの安全と被災地の一日も早い復興を心よりお祈りいたします。

Pacoma編集部

 

DIYな先祖をたどる旅に出ました

 ▲今回はDIYな旅の記録です。

 

 

先祖が宮大工かもしれない。

 

そう気付いたのはごく最近のことだ。

 

祖母が「家系図を作ってみたい」と言っていたのをきっかけに、戸籍謄本を取り寄せてみることにした。

 

郵送で役所に依頼し、古いものでは約200年前の戸籍まで遡ることができた。

 

200年前といえば江戸時代。

自分と江戸時代がつながっていることを初めて実感した。

 

考えてみれば当たり前のことなのだが、とても新鮮に感じられる。

 

江戸時代どころか、なに時代だってなにかしらつながっているのだった。そうじゃなきゃここにいない。

 

 
父方の祖父の戸籍を辿ると、おじいちゃんより上の世代はみんな富山県氷見市に住んでいたことがわかった。

 

そして郷土史などの資料を参照すると、どうも大窪大工と呼ばれる宮大工集団のうちの一家と苗字が一致するのだ。

 

宮大工。

 

めっちゃDIYじゃん。

 

もし私が子孫だったとして、宮大工の子孫が知らず知らずのうちに何年もDIYの連載をやっていると考えるとちょっと面白い。

 

でも、先祖が宮大工なのにこんなに不器用っていうのは笑えないような。

 

まあ、子孫だから才能があるとかないとかっていうのも血液型占いと同じくらい当てにならないか。

 

そして戸籍と郷土史が完全につながったわけでもなく「宮大工、かも?」くらいの曖昧な情報しかない。

 

 
それなのに勇み足で、ルーツをめぐる旅に出た。

 

おじいちゃんの故郷なのに行ったことがなかった氷見市を一人で歩いてみる。

 

寒鰤が有名で鰤推しがすごい。

 

海の向こうにそびえる立山連峰が、白くきりっと輝いている。

 

足湯に浸かりながらそれを見た。

ぬるくて塩分の強いお湯。いいところだな。

 

 

 ▲タオル持たずに足湯に入って大変。

 

 
タクシーをチャーターして、石動山を目指す。

 

前田利家に連れられて尾張からやってきた大工たちが活躍し、最盛期には300以上の寺があったという場所だ。

 

二度の大規模な焼き討ちや明治時代の神仏分離政策によりほとんど跡形もなくなっている。

 

資料館や案内人の方の話を「ほ〜」「はは〜」と神妙な顔で聞いた。

 

「あのままお寺が残っていたら、今頃この場所はとんでもなく栄えていたでしょうねえ」と惜しそうに語る地元の方。

 

作ったものが消えてなくなっても、記憶が引き継がれている。

 

市内にある、先祖っぽい人が作ったっぽいお寺っぽい場所に立ち寄ったりもした。

 

あごに手を当てて、屋根や柱をしみじみ眺めてみる。

 

特に何もわからなかったが満足した。

 

ここまで来て、私がこの寺に全然関係ない人物という可能性も大いにある。

 

 

 ▲つわものどもが夢の跡、という感じがする。

 

 

「明日にのばせることを 今日するな」

 ▲冬は鰤目当ての観光客が増える氷見。

 

 

富山県氷見市は藤子不二雄Ⓐ先生の故郷でもあり、商店街には喪黒福造をはじめとするお馴染みのキャラクターのモニュメントがずらりと並んでいた。

 

原画を展示するギャラリーに立ち寄り、ファンタジーと怪しさのあわいの源流に触れる。

しっかり創作意欲を掻き立てられた。

 

藤子Ⓐ先生の座右の銘「明日にのばせることを今日するな」を深く心に刻む。

 

この連載のタイトルと真逆のことを言っている。

 

いや、「明日じゃできない、今日しかできないことだけをしろ」という意味かもしれない。

 

明日消えるかもしれないDIYの衝動も、今日つかまえておいた方がいい。

 

 
見切り発車で飛び出したルーツさがしの旅だったが、すべての景色が私に語りかけてくるような臨場感があった。

 

観光地をなでるような旅ではなく、自分自身の旅をしているという充足感。

 

DIYな旅とDIYじゃない旅があって、今回はDIYな旅ができた気がする。

 

私による私のための私の旅だから、街の中に入っていけた。

 

関係あるかないかはもはやどちらでもいい。

 

今回の旅をもって、すごく関係ある街になった。

 

 
「寒鰤宣言が出たらまた来ます」と、タクシーの運転手さんに約束したのだった。

 

 

 ▲ブリ小僧とも再会を誓いました。